昭和の完食指導

 昭和の時代。
 昭和レトロといった言葉でノスタルジックな世界として語られることも多くなったが,その時代を生きた人間としてはマイナス部分が色々と思い浮かびすぎて複雑な気持ちになる。

 1970年代の昭和真っ只中だった小学生時代。
 小学生の頃に良い思い出がないかと言えば,家族の思い出などは懐かしく楽しいものもある。しかし,総じて学校は最悪だった。
 小学校とは私にとってトラウマの場所であり,卒業の日はひたすら嬉しかった。その後二度と小学校という組織と関わりたくないと強く願ったため,子供が欲しいなどという気持ちは私の人生で一度も起こらなかった。


国立歴史民俗博物館にて
国立歴史民俗博物館にて

 小学生時代の嫌な思い出には限りがないが,低学年の頃の最悪な記憶は給食だ。

 学校や担任の先生によって指導は異なっていたが,当時の社会は未だ戦争の頃の食べ物がなかった時代の記憶を色濃く残していたためか,給食は完食するのが基本だった。

 給食に供されるのはコッペパンと瓶牛乳におかず一品。
 パンとおかずはアルマイトの給食用食器に盛り付けられ,それをアルマイトのお盆に乗せて各自机の上に置いて食べていた。

給食を完食できないと?

 給食時間内に食べ終わらなければ,昼休みの間もそのまま椅子に座って食べ続けなけらばならない。
 午後の授業や掃除の時間になっても食べ終わらなければ,廊下に出され,廊下に座って食べ続けなければならない。
 放課後まで食べられずに廊下に座っていると,先生がやってきて棒で頭を思い切り叩き,お皿を給食室へ持っていって帰って良いと言うのだった。

 給食時間内に食べられないような子は,廊下に出されようと,放課後まで残されようと,棒で叩かれようと,食べられるわけないのに。

苦手な理由だってきちんとあった

 私は肉が食べられなかった。
 品質の良くない肉が供されていたこともあってか,噛み切ることができず喉に引っかかるからだった。今でも肉は喉に引っかけやすいし,錠剤なんかも喉に引っかけやすい。喉が細いのか飲み込むのが下手なのかは分からないが,これは私の特性で,本人が好んでそうなっているわけではないし,治しようもない。

 だが給食に肉はつきもので,おかずがサラダかみつ豆,スパゲティの日以外はほぼ必ず入っていた。
 おかずがサラダだけとかみつ豆というのは今思えば「それどうなの?」という献立だし,スパゲティがおかずっていうのも栄養的に不思議だが,当時の給食はそうだった。そして肉の塊が入っていないそういう日は月に2回くらいあり,私にとって安堵の日だった。

 それ以外の肉の塊が入っている日,私は最初から食べることを諦めていた。
 肉以外のものはきちんと食べるのだが,肉だけは喉に引っかかるので死活問題。食べられないので午後の授業に出られないことが最初から確定していた。

午後の授業は受けられなかった

 小学校の低学年の頃,だから私が午後の授業に出られるのは月に2回か3回だけだった。
 私は勉強もできたし授業に出なくても特に困らなかったが,私と同じく給食を食べられず毎日一緒に廊下に出されていたあとの二人の子はあまり勉強ができる方ではなかった。苦労していたのではないだろうか。
 毎日一緒にアルマイトのお皿を持って廊下に座ったO君とTちゃんのことは今でも時々思い出す。

 大人になってその話を母にしたところ,「何でお母さんに言わなかったの!」と驚かれた。
 けれど当時の社会,当時の学校では,先生は絶対的な存在だったのだ。自分が不当な扱いを受けているなどということを,7歳とか8歳の私は全く思い付かなかったのだった。

 今の社会では度を超した完食指導は問題にされているようで,本当に良かったと思う。
 給食は本当に辛かった。

給食は黙って食べるものだった

 完食問題とは関係ないが,給食のことで最近驚いたことを一つ。

 コロナ禍で「黙食」が指導され「可愛そう」などという意見を聞いて驚いた。
 なぜなら私が通っていた小学校では「喋ると唾が飛ぶので食事の時は黙って食べましょう」と指導されていたのだった。
 「今時の小学校では給食の時にお喋りするのが普通なのか!」と驚いたのだ。

 半世紀も経てば常識は随分と変わってゆくようだ。


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練炭火鉢

 祖母は1903年生まれ。明治の人だった。
 幼い頃に私がよく遊びにいった彼女の家は空襲で焼かれずに残った昭和初期に建った家だった。

 土間になった台所,石造りの風呂場。トイレは勿論くみ取り式で,手を洗う水道はついていない。トイレの前に手洗い用の桶がぶら下がっていた。
 扉は全て障子の引き戸。玄関の格子戸には上半分に飾りガラスがはめ込まれていた。

 隙間だらけの昔の木造家屋は如何にも寒そうなイメージだが,実は障子というものは断熱効果が高く,意外と暖かい。硝子は約90%の熱を通過させてしまうが,障子は40~50%程度なのだ。
 ついでに言うと,障子は調湿効果と通気性もある。このため湿気がこもりにくく黴の防止にも役に立つ。畳の部屋には最適だ。
 障子紙は,夏は暑く湿度が高く冬は寒く地方によっては雪が降り続く日本に適した素材だったのだと改めて思う。


 そんな祖母の家の冬の風景に欠かせなかったのは練炭火鉢だった。いわゆる近代的なストーブというものはなく,暖を取るのは練炭火鉢のみだった。


 障子を閉め切ったほの暗い和室の真ん中に置かれた練炭火鉢の上には必ず鉄瓶が置かれ,しゅんしゅんと湯気を出していた。
 そういえば,祖母は鉄瓶のことを「お湯瓶」と呼んでいた。方言なのだろうか,それとも祖母の世代の人たちはやかんや鉄瓶を普通にそう呼んでいたのだろうか。

 冬の楽しみの一つは練炭火鉢の上で焼くお餅。
 鉄瓶を除けて網を置き,その上にお餅を並べる。
 練炭火鉢の縁にお皿やお醤油,海苔,きな粉砂糖などの皿を並べ,火鉢を囲む。
 熱々の餅を火鉢の縁の皿に取って,目の前で膨れていく次の餅を見ながら食べるのだ。

 そんなことを言われても練炭火鉢を見たことがないであろう現代の人には想像が難しいだろう。当時の写真でも残っていれば良かったのだがそんなものはない。
 下は上野の台東区立下町風俗資料館で撮影したものだが,これは練炭火鉢ではなく単なる火鉢。練炭火鉢はもっと大きいし複雑な構造をしている。


台東区立下町風俗資料館にて
台東区立下町風俗資料館にて

 下は佐倉市にある国立歴史民俗博物館で撮影したもの。
 こちらは練炭火鉢だが,練炭火鉢の中の部分だけだ。この部分全体を上の青い火鉢のような材質の焼き物でできた容器に入れて使う。
 練炭火鉢の容器には下の写真の中身がそっくり入り,下の部分には空気穴の窓が付いていて火加減を調節できるし,縁の部分がちょっとしたカウンター机のように使えるのだ。

国立歴史民俗博物館にて
国立歴史民俗博物館にて


練炭

 そもそも最近の若い人たちは練炭というものを知らないだろうと思う。

 右の絵のように穴があいた真っ黒な円柱形の形をしたものが練炭だ。
 朝から火を付けると夕方まで火が保つが,燃やすわけだから部屋は度々の換気が必要だ。ただ障子で囲われた部屋はそもそも通気性が良いので現代の住宅でストーブを使うほどの換気は必要なかった気がする。

 火を付けるときは野外で新聞紙や乾燥させた蜜柑の皮などを練炭の上に乗せて団扇で扇ぎ練炭に火を移していた。
 上手に練炭に火を付けられるようになった時は大人になった気がしたものだ。


 祖母が愛用していた深緑色の練炭火鉢は,祖母の家が高度経済成長期の家に改築された後,いつの間にか姿を消した。
 そして練炭火鉢というものも,多くの家の日常から消えていった。

 消え去った当時の文化をたまにこうして思い出し,火鉢の下の空気窓を開けて赤赤と燃える練炭を覗いた子供の頃を思い出す。


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柿の木があった頃

 実家の周辺では,柿の実が生った柿の木を今もよく見かける。


 先日もたわわに実が生った柿の木の前を通りかかり,母と「欲しいけど勝手に持って帰るわけにいかないしねぇ」と言いながら通り過ぎようとしたところ,その家の奥さん(昔からの知り合い)が丁度帰宅したところだったので声をかけた。
 彼女は「誰も取る人もおらんけんいくらでも持ってって」と言ってくれたが,何しろ柿の木は高木で実まで手が届くはずもない。
 「もったいないけど食べられるのは鳥だけだよねぇ」と言いながら名残惜しくその場を去ったのだった。

 その昔,50年以上も前のこと。
 我が家の裏口の前には大きな甘柿の木が生えていて,毎年沢山の実を付けていたものだった。柿の木と過ごす四季は楽しかった。

 初夏の頃,柿には小さな白い花が咲く。
 見るからに柿の花だ。何故なら,柿の実についている萼の部分がそのまま花を支えているのが,見た瞬間に理解できる形をしているから。
 高木の花なのに小さな花が目に付くのは,この花は落ちやすく,よく木の下に散らばっているためだ。柿の花を集めて某かと遊びに使ったものだった。

 夏になると生い茂った柿の木の下は良い木陰になるし,蝉や野鳥もしばしば訪れる。秋になると柿の葉の紅葉が美しい。柿の葉は大きいから紅葉も映えるのだ。
 晩秋に紅葉が終わる頃,柿の実の食べ頃が訪れる。実が色づくと,鵯や烏がやってきて突いていく。

 柿の実をもぐのは家族の一大イベントでもあった。
 脚立を準備しても,とても実まで手が届かない。竹山から細めの竹を切ってきて,竹の先を割って柿のへたを挟めるような具合に調整。脚立の上からその竹竿を使って柿をもぎ取るのだ。竹竿は意外と重いしなかなかの技術が要る。
 もぎ取った柿は地面に落ちては傷むので,下で誰かが受け取る。

 わいわい言いながらみんなでそうやって柿の収穫をした。
 家で収穫した柿の実は,食べる時には気をつけなければならない。種のあたりによく虫が住みついているのだ。虫食い部分を排除しながら沢山食べたものだった。


 渋柿の木もあった。
 こちらは甘柿と違って背が低く,脚立ひとつあれば簡単に収穫できた。渋柿は本当に渋いのでそのままでは食べられない。皮を剥いて干し柿を作り,年を越してから食べるのだった。すぐに食べられないので,食いしん坊の子どもにとってはもどかしかった。
 背の低い渋柿の木は,お正月に雪が積もると風情があって美しかった。

 それらの木々はとっくになくなってしまったが,こうして時々思い出す。
 子どもの頃は考えもしなかったけれど,木も私たちと一緒に生きて時を刻んでいたのだと,今思う。


Microsoft Bing Image Creator
AI生成の柿の木(ちょっと変)


 Microsoft Bing Image Creatorに「柿が生った柿の木」をお願いしたらこんな絵になった。残念ながらサイズ感がかなりおかしい。でも描いてもらえるだけありがたいかな。

 「柿の花」もお願いしてみたが,本物の柿の花とは似ても似つかない毒々しい柿色の花が提示されてしまった。英語でお願いしてみても変わらなかった。今は未だデータがそろっていないのだろうということで,AI生成画像の未来に期待しておこう。


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思い出せることを思い出そう

 しばらく日が空いた。

 旅行は無事終了した。唯一の心残りは高砂堂でりんご餅を買えなかったこと。初日に店の前まで行って建物だけは撮った。
 最終日に買いに行こうと思っていたが,体力が限界で無理だったのだ…。


 今までここにアップしてきた空写真は,形を変えてかわゆらのコンテンツにしようと思う。あちこちを更新する気力も時間もないから。

 どうせ誰も見ていないこのブログでは,ひっそりと思い出した過去のことなどを書こうと思う。
 ふと思い出した個人的な思い出などを。


高砂堂


9月24日 旅に出る

 天気と空



(2023-09-24 05:40)
(2023-09-24 05:40)


 秋田へ行ってくる。
 9年ぶり。
 祖父母のお墓参りをし,叔父夫婦と会食し,思い出の男鹿半島をドライブしようと思っている。

 体調が良くないが,どうか無事に旅が終わりますように。




秋分にして初めての涼しい朝

 天気と空

 朝から小雨が降っていて重たく黒い雲に覆われ暗かった。東京スカイツリーも根元しか見えていない。当然湿度は高かったが,久しぶりに息がつける本当に涼しい朝になった。昼間も気温は上がらず秋のようだった。
 東京都心の最高気温は24.3℃(15:30)。


(2023-09-23 07:22)
(2023-09-23 07:22)

 秋分(太陽の黄経 180度)は15時50分。
 東京の本日の日の出時刻は05時29分,日の入りは17時38分。
 月齢は8.0で,次の満月が中秋の名月となる。近年満月と中秋の名月が重なることが多かったが,来年以降しばらく重ならなくなる。次に満月と中秋の名月が重なるのは7年後の2030年9月12日。


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秋雨

 天気と空

 雨は降っていなかったが,朝から地面に雨の跡をみかけた。一日中たまにポツポツと降る感じの空模様だった。昼間は蒸し暑かったが,夕刻18時には23℃まで下がった。
 東京都心の最高気温は29.4℃(12:40)。


(2023-09-22 06:37)

 本日の東京の日の出は05時29分,日の入りは17時39分


7日間の気温

2023-09-15~2023-09-21 7日間の気温
2023-09-15~2023-09-21 7日間の気温

average

  • 札幌 21.2℃
  • 秋田 24.5℃
  • 東京 28.0℃
  • 名古屋 28.3℃
  • 大阪 29.2℃
  • 熊本 27.8℃

 大阪が暑い。今年は意外と熊本が暑くない,というかそれ以外の地域が暑すぎるということになっている。


生物季節観測データベース

ススキの開花
 19日 松江・熊谷・徳島
 20日 大分・下関
 21日 熊本

 昨年は,松江9月15日,熊谷9月16日,徳島9月26日,大分9月22日,下関9月20日,熊本9月7日。熊本は昨年より大幅に遅い開花となっている。


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久しぶりに日差しがない朝

 天気と空

 雨は降っていなかったが夜明け前から煙ったような湿った空。
 東京都心の最高気温は29.5℃(14:23)。

(2023-09-21 05:38)
(2023-09-21 05:38)

 昼前あたりから風が強く吹き始め,たまに雨がぱらついた。雲の速度が速い。
 昼過ぎに横浜など神奈川県西部には竜巻注意報が出ていた。
 明日にかけて秋雨前線が南下し関東地方にかかるようだ。

(2023-09-21 13:23)
(2023-09-21 13:23)

 本日の東京の日の出は05時28分。日の入りは17時40分。月齢6.1。

(2023-09-21 17:24)
(2023-09-21 17:24)

 日没直前に日が射し,空を覆う黒雲との対比が幻想的な風景が見られた。


温暖化と帯状降水帯

 東京大や気象庁気象研究所などの研究チームがスーパーコンピュータを使って,温暖化が進む現実の地球と温暖化していない仮想の地球を再現して比較した研究結果で,帯状降水帯についても触れられていた。

 今年の6月~7月上旬に日本で発生した線状降水帯についての分析結果で,温暖化した現在の地球は,温暖化していない地球と比べて発生数が約1.5倍だったとのこと。

 中でも7月9日・10日の九州北部の豪雨は,温暖化により大気中の水蒸気量が増えたこと等が影響し,総雨量が16%も増えていたことも分かったそうだ。



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60年に1度の暑い夏

 天気と空

 日の出の頃から薄雲がかかった状態で,悪天候へ向かう印のすじ雲も見えていた。
 曇りがちだったが,午前9時代には30℃を超え,今日も無事に?真夏日最多記録を更新。88日目。
 東京都心の最高気温は32.3℃(11:08)。

(2023-09-20 05:32)
日の出時刻は過ぎている。
(2023-09-20 05:32)

(2023-09-20 05:42)
日の出位置に高いビル。
(2023-09-20 05:42)

(2023-09-20 05:43)
(2023-09-20 05:43)

 午後は天気が不安定になり遠くで雨が降っているのが見えていた。

(2023-09-20 14:47)
(2023-09-20 14:47)

確率1.65%の猛暑

 昨日から「60年に1度の猛暑」のような見出しが飛び交っていた。

 今年7月下旬〜8月上旬(7月21日~8月10日)の高温について,東京大や気象庁気象研究所などの研究チームがスーパーコンピュータを使って分析した結果,「60年に1度しか起こらない非常に稀な暑さで,地球温暖化による気温の底上げなしでは起こりえなかった」という結論に達したとのことだった。
 そもそも今年の春にエルニーニョ現象が発生し,この夏は冷夏をもたらしやすい気象条件だったのだ。

 分析は,温暖化が進む現実の地球と,温暖化していない仮想の地球をスパコンで再現し比較して行われた。

 今年7月下旬〜8月上旬の高温は,温暖化が進む現在の地球での発生確率1.65%。60年に1度しか起こらない結果。温暖化していない仮想の地球の場合では,偶然が重なることがあったとしても,この夏のような高温になる可能性はほぼ0%だったそうだ。

 気象庁によると今夏(6~8月)の全国の平均気温は平年より1.76℃高く,1898年の統計開始以来最高。ラニーニャ現象の影響が残っていたことの他,熱帯域での複数の異常が要因となって起こったとのこと。


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終わりのない夏の星

 天気と空

 朝から晴れ。今日も午前9時には30℃を超え,真夏日日数最多を更新した。87日目。
 東京都心の最高気温は33.5℃(12:47)。

(2023-09-19 05:46)
(2023-09-19 05:46)

(2023-09-19 05:46)
(2023-09-19 05:46)

 日の出直後からこんなに立派な積乱雲が発達していた…。
 東京の本日の日の出時刻は05時26分,日の入りは17時43分。
 月齢は4.0。


終わらない夏のSF

 世界を焼き焦がすかのように朝から照りつける刺すような陽光を感じながら,昔見たテレビアニメ『銀河鉄道999』の星を思い出す。第54話・55話の「終わりなき夏の物語」。永遠に夏が続く世界では虫が知能を持って星を支配していた。

 あと,終末を迎えて膨張した太陽のもと自転が停止して昼と夜に別れた地球の物語,ブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』とか…ね。こちらの熱帯と化した地球は移動する食肉植物に支配されていた。



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海王星が地球最近ですよ!

 天気と空

 朝から晴れて積乱雲が発達し,昔なら真夏の盛りと言った気温。今となってはこれが9月なのかと認めざるを得ないわけだが…。午前9時には30℃を超えていて,一夏の真夏日日数最多を本日も無事更新した。86日目ですか…。
 東京都心の最高気温は33.3℃(12:07)。

(2023-09-18 05:40)
(2023-09-18 05:40)

(2023-09-18 05:40)
(2023-09-18 05:40)

 東京の本日の日の出は05時26分,日の入りは17時45分。
 週末には秋分なので夜はぐんぐん短くなっている。

 今日は海王星が地球最近だけど,さすがにマスコミも「天体ショー」とか言って騒がないね。7.7等だし,双眼鏡と星図がないと確認できないし,ハードル高いもんね。

本日猛暑日になった地点

  1. 岩手県 釜石 36.4 13:58
  2. 埼玉県 鳩山 35.8 14:28
  3. 岩手県 小本 35.8 12:14
  4. 福島県 梁川 35.6 12:00
  5. 群馬県 桐生 35.5 14:12
  6. 群馬県 館林 35.4 15:21
  7. 香川県 財田 35.3 12:14
  8. 埼玉県 熊谷 35.2 14:36
  9. 栃木県 佐野 35.2 15:14
  10. 宮城県 白石 35.2 12:09
  11. 京都府 福知山 35.1 13:30
  12. 岩手県 一関 35.1 14:34
  13. 京都府 舞鶴 35.0 13:51
  14. 神奈川県 小田原 35.0 13:27


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午後から天気回復し真夏日

 天気と空

 晴れ時々曇りの予報だったが,朝から重い雲が垂れ込めて東京スカイツリーも見えたり隠れたりの空模様。しかし午後にはすっかり晴れて,本日もしっかり真夏日となり,東京の真夏日日数は85日目で記録更新となった。
 東京都心の最高気温は32.9℃(11:48)。

(2023-09-17 05:32)
(2023-09-17 05:32)


(2023-09-17 06:43)
(2023-09-17 06:43)

 2週間予報が出ていたが,今週末に暑さは一旦収まるものの,その後また復活して月末まで真夏日が続くようだ。記録的な暑さと今は言っているが,これが今後常態化して行かないことを切に願う。

(2023-09-17 17:02)
(2023-09-17 17:20)

(2023-09-17 17:50)
(2023-09-17 17:50)

 本日の東京の日の出は05時25分,日の入りは17時45分。
 日の入り直後,17時50分の写真には地球の影とビーナスベルト,そしてうっすらと反薄明光線が写っている。


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84日目の真夏日

 天気と空

 天気の回復は遅く,晴れ時々曇りという天気予報だったにもかかわらず午前中はずっと今にも降り出しそうな暗い曇り空だった。午後になってもたまに薄日が射す程度。15時前くらいにようやく晴れてきた。
 しかしキッチリ真夏日になったのだった。本日でこの夏の東京の真夏日日数は84日目。名古屋と京都は最も遅い猛暑日を更新したらしい。
 東京都心の最高気温は31.7℃(12:33・15:22)。

(2023-09-16 05:30)
(2023-09-16 05:30)

 本日の東京の日の出は05時24分,日の入りは17時48分。
 月齢は1.0。

(2023-09-16 14:41)
(2023-09-16 14:41)

 こういった入道雲の見納めはいつやってくるのだろうか。真夏にしか見ないものだと昔は思っていたのに。

 夕刻には立派な反薄明光線が見えていた。まだ明るいうちから薄く見え始め,少しずつ反薄明光線がはっきり見えるようになる様子を,何となくずっと眺めていた。

(2023-09-16 17:38)
(2023-09-16 17:38)



7日間の気温

2023-09-09~2023-09-15 7日間の気温
2023-09-09~2023-09-15 7日間の気温

 札幌は7日間の気温のaverageが23.2℃。かなり過ごしやすい気候になっているようだ。
次に低いのは秋田で26.6℃。東京・名古屋・大阪・熊本は何れも27℃代。



生物季節観測データベース

ススキの開花
 14日 盛岡
 15日 京都・岡山

 昨年は,盛岡9月6日,京都8月29日,岡山9月13日。何れも今年の方がかなり遅れており,暑い夏と厳しい残暑の影響が見られる。


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旧暦八朔

天気と空

 早朝は嫌になるほど晴れて午前8時代には30℃を超えていたが,昼前には雲が多めになった。
 東京都心の最高気温は32.8℃(12:22)。
 本日でこの夏の東京の真夏日日数は83日目。どこまで伸びるかこの記録? 甲府市で35.4℃,名古屋市で最高気温35.2℃を記録し,名古屋市では統計開始以来最も遅い猛暑日となった。

(2023-09-15 05:49)
(2023-09-15 05:49)

 昼前には雷鳴がとどろき始め,昼過ぎにはポツポツと降っていた。
 当地はいつもあまり降らないが,他所ではけっこう雨が降っているように見えた。SNSを見ていると大雨が降っているところもあったようだ。

ゲリラ豪雨という言葉について

 今日はtenki.jpやSNSなどで「ゲリラ豪雨」という言葉を散見したが,この言葉にはどうも馴染めない。

 誰が言い始めたのと思って調べてみたところ,1969年8月の読売新聞が初出で,2006年頃からマスコミでよく使われるようになり,2008年には流行語大賞のトップ10に入ったとのこと。

 気象学的な正式な用語ではない単なるマスコミ用語で,気象庁では「ゲリラ豪雨」という言葉は使われない。気象庁が言う「局地的大雨」がこれに相当する。

 局地的大雨は,大気の状態が不安定なときに発生しやすい現象で,特に夏場は強い太陽光によって地表付近の空気が温められて上昇気流が不安定な状態が発生しやすく局地的大雨も生じやすい。

 近年になってこういった局地的大雨が珍しい現象ではなくなったこと,「ゲリラ」という言葉から戦争が想起されるなどの理由で「ゲリラ豪雨」はだんだん言われなくなってきているようだ。


(2023-09-15 13:36)
あちこちで雷雨になった午後の空
(2023-09-15 13:36)


 本日の東京の日の出は05時34分,日の入りは17時49分。
 月齢は29.6で新月。

 本日は新月。旧暦八朔(8月1日)だ。
 旧暦は月の満ち欠けによって決まるので,1日は必ず新月となる。八朔は二百十日や二百二十日と並んで,稲の開花と台風の襲来が重なる農家の厄日となっている。このため各地で五穀豊穣を願う祭などが行われるが,最近の八朔祭は新暦で行われているところが多い印象だ。


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真夏日日数最多更新中

 天気と空

 朝から雲が多く,今にも俄雨が降り出しそうな黒くて低い雲に覆われていた。東京スカイツリーも半分見えない感じ。それでも午前9時代にはキッチリ30℃を超え真夏日になった。東京の真夏日日数は本日で82日目。歴代最多を更新中だ。
 東京都心の最高気温は32.7℃(13:30)。

 本日の東京の日の出は05時23分,日の入りは17時51分。
 月齢は28.6で,明日は新月。旧暦八朔(8月1日)となる。八朔は二百十日及び二百二十日と並んで,台風の被害に注意するための農家の厄日。

(2023-09-14 05:21)
日の出直前
(2023-09-14 05:21)

(2023-09-14 05:29)
(2023-09-14 05:29)

(2023-09-14 05:30)
(2023-09-14 05:30)

 本日はさいたま市で35.0℃となり,観測史上最も遅い猛暑日になった。今までの猛暑日最晩記録は2005年9月13日だった。



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日の出直前の薄明光線

 天気と空

 よく晴れた一日で,東京はこの夏81日目の真夏日となった。年間の真夏日日数最多を更新中だ。嬉しくないが,まだまだ数値は伸びそう。
 東京都心の最高気温は33.1℃(13:03)。

 日の出2分前。茜色に縁取りされた積乱雲の向こうから放射状に光が伸びているのをみかけて急いでカメラを持ち出した。日の出前の薄明光線(光芒/レンブラント光線/ヤコブの梯子)はちょっと珍しい。しかも放射状に伸びているのがしっかり分かるし,長く立派な光線だ。
 今日の日の出はビルの向こうだったので太陽の姿を見かけたのは日の出から5分ほど経ってからだったが,太陽が出てくるまでの間,光芒は少しずつ位置を変え変化し,太陽が顔を出すと静かに消えていった。

 本日の東京の日の出は05時22分,日の入りは17時52分。

(2023-09-13 05:20)
日の出直前の薄明光線
(2023-09-13 05:20)

(2023-09-13 05:20)
日の出直前の薄明光線
(2023-09-13 05:20)

(2023-09-13 05:28)
日の出
(2023-09-13 05:28)

(2023-09-13 05:28)
日の出
(2023-09-13 05:28)

(2023-09-13 08:55)
(2023-09-13 08:55)

 真夏日になったこともあり,午後は真夏のような積乱雲が出ていた。雲の下では俄雨がふっているもよう。
 こういった雲は梅雨明け後の7月や8月の夏の盛りに出るものという印象なのに,9月も半ばになっても続いているとは。

(2023-09-13 15:28)
(2023-09-13 15:28)


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水路の日

 天気と空

 朝焼けが綺麗だった。秋らしい高積雲の群れが一面に広がっていて燃えるような赤に焼けていた。真夏日になったが暑さに慣れた体にはそれほど暑く思えない。ちなみに都心は今年80回目の真夏日だった。仙台市でも60回目の真夏日だったそうだ。
 東京都心の最高気温は32.0℃(11:06)。

 本日の東京の日の出は05時21分,日の入りは17時54分。

(2023-09-12 05:13)
(2023-09-12 05:13)


 今日は「水路の日」らしい。

 玉川上水とかそういった水路を想像したが,水の上の路という意味の水路だったようだ。
 1871年(明治4年)9月12日(旧暦7月28日)に近代的海図を造り日本沿岸の安全を守るために兵部省海軍部水路局が設置されたことが由来らしい。この組織は戦後海上保安庁の水路部,海洋情報部という名前になり,水路記念日も当初は旧暦の日付(7月28日)だったが,1971年に新暦に換算し9月12日になったとのこと。


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 昨日からずっと二百十日と二百二十日に関連して台風について調べていた。
 2004年に熊本市で経験した台風18号は今以て忘れられない恐ろしさだったが,改めて歴史の中からこの台風を探しだしてみると,りんご台風に匹敵する凄い台風だったことがわかった。何でも過ぎて歴史になった後にようやく,本当のことがわかる気がする。


二百二十日

 天気と空

 朝から雲多めの晴れ。
 東京都心の最高気温は32.9℃(11:53)。

 本日の東京の日の出は05時20分,日の入りは17時55分。随分と日が短くなってきた。

(2023-09-11 05:32)
(2023-09-11 05:32)

(2023-09-11 05:33)
(2023-09-11 05:33)

 東京都心の最低気温は25.0℃(04:34)だったが,朝から立派な積乱雲が出ていた。
 雲が多めだったためレンブラント光線が出るのではと注意していたが,スカイツリーの横あたりに白い光線が降りているのが見られた。

(2023-09-11 06:31)
かすかにレンブラント光線
(2023-09-11 06:31)

 昼間も雲が多め。すじ雲が出ていた。

(2023-09-11 14:03)
(2023-09-11 14:03)



7日間の気温

 averageが高かったのは大阪と熊本。日本海側の酷い暑さは一段落したようだ。
 それでも秋田の方が東京よりaverageが高かった。

2023-09-04~2023-09-10 7日間の気温
2023-09-04~2023-09-10 7日間の気温

生物季節観測データベース

 この5日間で新たな報告はなし。 


二百二十日と台風のこと

 本日は二百二十日。立春から数えて220日目。だいたい毎年9月10日か11日頃に訪れる。
 二百十日と並んで台風の襲来が多い時期とされ,稲作農家にとってこの頃の台風は致命的になることもあって厄日とされてきた。
 秋の季語にもなっている。ちなみに農家の三大厄日として知られるのは,八朔・二百十日・二百二十日。

 台風の発生は8月も多いが,9月は歴代の被害が大きかった台風の上陸が多かったとのことだ。室戸台風(1934年/昭和9年)は9月21日,カスリーン台風(1947年/昭和22年)は9月15日。
 気象庁によって公式に名前が与えられた最初の台風である洞爺丸台風(1954年/昭和29年)と狩野川台風(1958年/昭和33年),そして有名な伊勢湾台風(1959年/昭和34年)は9月26日に上陸しており,このため9月26日は「魔の二六日」と呼ばれたとのことだ。

 「カスリーン台風」というのは奇妙な名前に見えるが,その頃の日本は連合国軍の占領下にあったため,1947年(昭和22年)〜1953年(昭和28年)5月までの台風はアメリカ式にABC順に女性の名前がつけられていたということだ。

 また西暦2000年の二百二十日は9月10日だったが,翌9月11日は「名古屋水没」などという大きな見出しが新聞一面となった東海豪雨だった。この時は南海上に台風があり,北陸地方には秋雨前線がかかり,台風に吹き込む風によって秋雨前線が活発になったことが原因だった。
 名古屋市,特に天白区では甚大な被害が出たのだった。


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暑さ復活

 天気と空

 昨日はずっと曇り空だったが,今日は夜明け前には既に晴れていた。
 東京都心の最高気温は33.0℃(13:38)。

(2023-09-10 05:13)
(2023-09-10 05:13)

(2023-09-10 05:45)
(2023-09-10 05:45)

 今週も来週も当分真夏日が続くようだが,猛暑日の予報は出ておらず,流石に少し秋が近づいたようである。
 明日は二百二十日。


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昭和の完食指導

 昭和の時代。  昭和レトロといった言葉でノスタルジックな世界として語られることも多くなったが,その時代を生きた人間としてはマイナス部分が色々と思い浮かびすぎて複雑な気持ちになる。  1970年代の昭和真っ只中だった小学生時代。  小学生の頃に良い思い出がないかと言えば,家族の思...